日本にはなぜ飛び級が普及していないのか。

こんにちは、ノトエモンです。

 

いきなりですが、皆さんの周りに「飛び級」した子っていましたか?

 

 

 

ほとんどいないと思います、、、

 

 

 

日本の大学では、七大学だけ飛び級を採用していますが、小学校、中学校、高校には飛び級がありませんし、留年もほとんどありません

 

 

年齢を聞けば、学年がわかります。

 

 

これからも分かる通り、日本は「エイジ」と「ステージ」が硬直的に結びついた社会です。

 

 

 

その学年の天才だろうが同じ学年の勉強をしなければならないし、習熟度が足りていない子も同じ年齢の学年にいなければならない。ついて行けない子が「特別支援学級」もしくは「特別支援校」に行くこともある。

 

 

 

 

変動が速く、かつ人生100年の時代では、こういう社会の仕組みは変えないといけない。理由はそれだけではありませんが、それはまたまたの機会にしたいと思います。

 

 

 

 

リンダ・グラットン教授の名著『ライフ・シフト-100年時代の人生戦略-』という本、これはまさしく今後日本がたどるであろう未来が詳しく書かれていますので、強くお勧めします。

 

 

 

次に落第に目を向けてみます。

海外と比べるのはあまり好きではありませんが、これを見れば少し日本の異常さが分かると思います。

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このグラフから見え隠れしているのは、日本では、義務教育で落第させるのは「可哀想」という思いがあり、年齢を重ねたら自動的に進級させる「年齢主義」が採られています。一方、フランスなどでは、課程の内容を習得しないまま進級させることこそ「可哀想」とみなされる。これを課程主義と言います。

 

 

合う、合わないというもんだを無視した表なのでどちらが良いという話ではありません。日本にヨーロッパの教育方法を持ち込むとなるとそれこそ失敗する可能性はあります。

 

 

 

しかし落第はともかく、飛び級はもっと採用しても良いように思います。子供の中には何年かに一人は本当の『天才』と呼ばれるような子供がいます。そうした特別な子供にはもっと才能を伸ばすために飛び級を認めてあげるべきです。

 

現代では、教育の目的は「調和のとれた人間形成」とされています。しかし、創造力が重要となる21世紀では、少しくらいバランスに欠けていても特定分野の才能がずば抜けている逸材はもっと出てきていいし、もっと評価されるべきなのです。

 

 

皆が同じ時間に出社し、同じ制服を着て、同じやり方でモノを大量生産する「敷かれたレールの上を歩かなければならない」の時代は終わったのです。

 

 

 

 

 

いくつになっても学び直しができ、一定期間休んで再び仕事に戻れる。そんな柔軟なライフコースを可能にすることが望まれる。それは、個人の幸福だけでなく、少子高齢化や労働力不足が進む日本にとって必要不可欠だ。